作成:2008年 1月11日
青木 康雄
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(たぶん)大間埼灯台

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たぶん・・・というのは、記憶がもう曖昧で、どこの局かわからないからです。
当時は、局によっては受信証を発行できないという書面やメモ書きとともに、このような感じでパンフレット等に印を押して返送していただく場合も多かったのです。
当時、むつ航路標識事務所管轄の灯台放送局は おおま と しりや があったのですが、しりや は、受信証返信がありましたので、もう一方の おおま だろうと推測したわけです。

しかし同じ管轄でなぜ おおま は受信証が無しで、しりや は受信証があったのか・・・?
もう記憶が曖昧なので確信はもてないのですがかすかに残る記憶を辿ってみるとこれには深いわけがあり、実は、しりや は、あの力技住所表記で受信報告書が届いたのです。でも、おおま は、宛先不明で返ってきてしまったのです。

そしてその後、なんと迷惑なことに、どこかの灯台(ごめんなさい・・・忘れてしまいました。確か、石廊埼灯台だったと記憶してます)に受信報告書を出した際に、軽い気持ちで「全国の灯台の住所リストがあったらいただけないでしょうか」なんて質問してしまったのです。

そしたらなんと! 直筆写しで灯台気象通報局の詳細なリストをご返信いただいたのです。こんなにもわざわざ時間をかけてまで作業していただこうとは思ってもいなかったのですが、このリストを手にしたときにはその大変親身でかつ丁寧な対応に本当に涙目になってしまったのを今でも覚えております。
右写真の左奥にあるのがそのリストです。右手前の資料は「潮流信号」について質問した際にいただきました返信です。この2通の資料は、それぞれ別の灯台からいただいた返信です。

もちろん今でも大切に保管してあります。

残念なのはこの表に、どこのどなたが、いつ作ったのかの手がかりが一切ないことです。

しかしながらかすかな記憶を丁寧に掘り起こしてみますにおそらく、左奥のリストは石廊埼灯台のかたが作っていただいたのではないかと思われます。石廊埼灯台からの受信証は葉書ですが2通とも消印が無く、封書で返信されてきたものと思われることからも矛盾はありません。当時私は、どんな受信証が返ってくるのかわからなかったため、返送用の住所氏名を記入し、切手を添付した封筒を同封しておりました。この封筒で返ってきたのでしょう。

潮流信号についていただいた返信についても、これも本当に申し訳ないのですがどこの灯台からの返信だったか詳細不明です。ただ、かすかな記憶では、野島埼灯台であったような記憶があります。

ほんと、業務多忙な折に迷惑な質問に対してこんなにもご丁寧な対応をしていただき、感謝する他ありません。

で、これで日本全国の灯台放送局の正確な住所を入手できた私は、早速「宛先不明」で返ってきてしまった おおま の受信報告書を改めて受信しなおして むつ航路標識事務所 に送ってみたのだと思います。

したらば、上記の通りの返信をいただいた・・・という経緯だったようなかすかな記憶があります。

当時の灯台放送の受信証発行というのは、対応については局によりほんとうにまちまちで、へぐら のように予算かけて受信証作っているなって思えるところもあれば、「国家機関なので発行できない」という返信をいただく場合もあり、また、灯台守さんの本当にご好意で発行していただけているようなとこもあり、今と違ってかなりおおらかな運用がされていたようです。
で、同じ むつ航路標識事務所 管轄でありながら、おおま は受信証発行しておらず、しりや はなぜ発行していただけたのか? という謎について当時クソガキだった私には皆目見当も付きませんでしたが、今にして思えば、しりや は、力技住所表記で偶然灯台に直接受信報告書が届き、当時の尻屋埼灯台を守っておられたかたの完全なご好意で、発行していただけたのではないかと思うのです。

そんなことを考えながら しりや の受信証を見てみますと、熱いものがこみ上げてきます。
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