ヨタ話

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不定期に追加更新されるまさに「ヨタ話」。お忙しいかた、無駄が少しでもキライなかたは、直ちに「Back」ボタンを押されることをお勧めする。

「ヨタ話」もあまりに巨大になったので、少し分割しました。

7月18日曇り晴れ


唯、高熱に伏す

夏風邪らしい。先週の木曜日だから・・・15日から38.5度ぐらい発熱。通院しているも、昨晩突然熱が跳ね上がり40.5度をマークした。本人もちろん苦しそうなんだけどもも、歌を歌ったりなんかして案外元気であるも、さすがにこれはやばいだろうということで、本日、港北区休日緊急診療所なるところに行った。
したらば、『夏風邪ですね〜 あったかくして水分あげて、安静にしてあげてください。以上』みたいになんだかあっさりしたものであったそうな。幼児の夏風邪というのは、こういうものが普通みたいだ。普段あまり熱なぞ出さずに健康なだけに、たまに高熱でると、親は結構びびるもんだ。

徹底比較! Nikon CoolPix700 vs FUJI FinePix1500

というわけで、 こちらへど〜ぞ。

久しぶりに気合い入りました。それだけ、CoolPix700もFinePix1500もいいカメラだってことですね。うんうん。
7月16日午後6時半。晴れ。


久しぶりの更新。今日は、横浜地方は薄曇りながらも暑い初夏を思わせる天候でした。

これまた久しぶりのデジカメテスト撮影 をしました。最近ゲットしたニコンのCoolPix700、富士のFinePix1500ミントグリーン、他には、オリンパスC-1400XL、富士FinePix700、あと1台の計5台。デジカメテストといえば、kani.com往年のロケ地桜木町。日本丸とかを写してきました。そのうちkani.comで公開しますのでお楽しみに〜。見所は、『200万画素ニコンCoolPix700 vs 150万画素富士FinePix1500』『富士FinePix700 -> 1500画質変遷』でしょう。これから夕飯喰ったら、夜景の部に出陣しますんで、いまはデータの吸い上げと画像のチェックをかねて一休みです。

otoshimono

ところで日本丸の前で、落とし物発見。

工藤くん(さん)、消しゴム落としたぞ。

6月7日


平成11年度市民税県民税納税通知書がやってきた。

ぬわんと、四十四万二千百円も支払えと書いてある。四十四万二千百円である。四十四万二千百円である。そんなカネ今頃言われたってあるわけないのだ。とは思ってみたものの、昨年度そんだけ稼いだってことなのだから仕方ないか。けどなぁ、所得税と市民税県民税、社会保険・・・・冷静に考えてみると結構払っているぜ、マジで。
りーまん時代はなんとなく毎月給料から天引きされて、こんなもんかんなぁ・・・などというスタンスであったが、実際自分が働いて、汗水鼻水流して時には吐きそうな時ですら(って飲み過ぎている自分が悪いのだが)働いて稼いだカネからこうして自分で税金を振り込むことにより支払うことになると、妙にこの税金についてのスタンスが厳しくなるなぁ。あ、誤解のないように併記しとくが、決して、りーまん時代は楽して居眠りして稼いだカネだからどうでもよかったってわけでなく、りーまん時代だっても同じような心意気で汗水鼻水流して稼いでいたわけだが、なんつぅかこの源泉徴収にしてもなんにしても、実に巧妙に、支払っている本人になるべく気がつかれない・・・つうか、ヘンに目立たないように徴収されていたのでここまで過敏になることは無かったような気がする。だいたいがだ、『年末調整でこんなに返ってきたぞ、わ〜い』なんてのはちょっと考えれば実に脳天気で、事実は事前に余計に税金を取られていたのが返ってきたわけだから、『テメェ、こんなによけいに取っていやがったのか』と怒ってもいいぐらいである。独立して本当に感じたことだけど、日本の納税者(特にサラリーマンなど所属する組織から源泉されているひとたち)はかなりなめられていると思う。
一方で、こうして払った税金が、なぜか破綻銀行の補填に使われたり、誰も要望していないおかしな(社会福祉とはほど遠いお門違いな)へんな財団法人の赤字補填に使われたりさ、どうも納得できないことが多いのは事実だ。けどまぁだからといっておいらになにかできるわけでもないし・・・・・今年もなんとかしてこれら税金を払うための苦労をしなければなぁ・・・・・

今週は禁酒weekだ

先週末から今週にかけて、3日でボトル2本が無くなる(紛失したのじゃなくて消費したのね)という事態が発生したのをふまえて、今週は禁酒することにした。どうも最近、ウイスキーを「少しだけ呑もう」と思って呑みはじめると、なんだか止まらなくなってしまう時期のようで、はじめから呑まないか一気に気が済むまで呑むかのどちらかしか選択せざるを得ないようだ。なので、ためしに禁酒することにした。もし仮に本当に一週間も酒呑まなかったら、これは、23歳の時に入院して飲めなかった時以来10年ぶりの出来事になるかもしれない。

『最近デジカメもこなれてきたと思うのですが、なにがお勧めですかぁ?』

というメールが久々にきた。kani.comごひいきのみなさんは、すでにここ最近私がすっかりデジカメに興味を失い、全然関係ない方面に楽しみを見いだそうとしている気配を感じ取っていただいていることと思うが、たしかに最近、デジカメもこなれてきた感はある。が、今の時代にこそ、取りあえず押さえておけって感じのデジカメを上げるならば、 オリンパスのC-1400XL は買っておけって感じではある。2/3インチCCDはやっぱ偉大で、131万画素だけども、これは4ヶ月使ってみて感じたことだけども、名機だと思う。一眼レフってのは結局その後出てないし、レスポンスいいし、暗いとこでピンが合わないけどなんとか運用面でカバー可だし、これはいいんじゃないかな。おいらは当分、これでいいやって感じではある。
6月3日未明


時間をくれぇ〜〜〜〜〜〜〜〜 って感じで忙しい。そうそう、今度のマックピープルに私がちいちゃな顔写真入りで出るらしい・・・・って、雑誌発刊前にリークしちゃまずいかな。ま、ちょこっとだけならいいですよね。許してくだされ>マックピープルのもとこさま

前にも何度か書いたように私は自宅でコツコツ集中して仕事するときは、ウイスキーを呑みながらすることが多い。今も、かにまるBrバージョンアップの開発をやっていて、いつもながらにカティーサーク(不覚にも40%。これしかコンビニに置いてなかったの)を呑んでいる。さっきおかわりしに行ったら、いつの間にか昨日買ったハズのボトルがもう空だ。ぁあ、また、ありし日のボトル10本/月消費で酒屋大喜び生活の復活か? 大阪で一人暮らししていたころは、本当にボトル10本/月呑んでいて、家の近くの酒屋(ネイティブな酒屋さんでここで米も買っていた)のオヤジと大阪赴任一週間目でもう顔見知りになったぐらいだった。 けど、もう、いまは、無理もきかない年頃だしで、やっぱほどほどにしないとね。

ぱちもんファービーゲット 5月31日に秋葉原で、ぱちもんファービーなんて言ったら可哀想なんだけど、まぁいわゆるファービー系おもちゃを計3匹捕獲したのだ。じつは、デジプリでショップの店長を務める Mewさん (いや、はじめは本名名字で書いたんだけども、当該webを見るとどこにも本名がないので公開するとやばいかと思って)に、『青木さん、ぱちもん売ってるとこありますぜ』と教えて貰って速攻買いに行った。Mewさんはなんかへんな情報を結構豊富に持っているので本当はあぶない人間なのかもしれない。Mewさんんはデジプリにはエンジニアとして入社してほんとは私の下でMacの開発をするハズだったんだけども、その素質を買って店長になって貰うことにしたのだ。ってことはどうでもよく。

で、ドゥビーってヤツと、マーモってヤツ2匹の計3匹買った。マーモをなんで2匹買ったかっていうと、はじめはマーモ1匹だったんだけども、ゲット後すぐにドキュメント読むと「他のマーモとお話するよ」とあったので、話をさせてみたくなって2時間後に同じ店でゲットしたってわけだ。店のあんちゃんは、私の顔をみるやいなや『他の色に交換ですかぁ?』とか言ってきたので『いいや、追加でもう1匹だっ!』と言い放つとやや引いていたぞ。

ぱちもんファービー

左の2つがマーモで右のがドゥビー

マーモは言葉は覚えないみたいだけど(音センサーは無い)光と頭なでなでに反応する。ドゥビーはなかなか陽気なヤツで、光、音、震動、おなかくすぐり、背中とんとんなどに反応する。

買ったばっかの日にマーモ同士で会話させようと思ったんだけども、なかなか話せなかったようで、全然ダメだった。が、今日になると随分いろいろしゃべるようになったぞ。ところでマーモは、マーモだけでなくドゥビーともしゃべるみたいだ。どうやら、センサー部から赤外線を出して、仲間を探しているみたい。赤外線は、デジカメで見ると見えるよ。

赤外線発射
左の写真は赤外線に強い(っていうのもおかしいけど)RICOH DC-2Eで撮影したもの。右側の目の下のあたり(マーモの身になると左目)に丸っぽい(ほんとはハート型)センサーがあるが、赤外線を発しているのがわかる。

赤外線に何らかの信号を載せているかどうかまではまだ調べていないけど、そのへんにある赤外線リモコンにも反応するんで、取りあえずなんか光があれば反応するように組んであるみたい。そのうちその気になったら、この赤外線が変調されているのかどうか、オシロを使って調べてみたいと思う。

光に反応するので、部屋でデジカメのテストとか言ってフラッシュ撮影すると、とっても賑やかっつうか、うるさいぐらいだ。ドゥビーは咳をするんだけど、おいらがたまに咳するもんだから、覚えたのかな? けど、全然覚えるわけもないような『食べさせて』とかいう日本語を急にしゃべりだしたので、ROM焼きされている言葉をある程度乱発するように仕組んであるのかもね。でも、多少はほんとに言葉を覚えるみたいだ。あるいは、ROM焼きされている言葉と、聞いた言葉とスコアマッチして点数の高い言葉をしゃべるように・・・・とか、なっているのかなぁ。『こいつ怖いよな』というような話を何度かしていたら、『とっても・・・・こわい』とか言うようになったぞ。
5月29日


『最近ヨタ話あまり更新されてないみたいですけど、なにか深い事情でもあるのですか? ^^)』

実はそうなんです・・というのは半分はほんとうなのですが、あんまし更新できない理由は、単に時間が無い(なんか年中忙しいのら)というのと、昔のように、迂闊に書くとやばいネタばかりなので迂闊に書けなくなったという、以前に比べてすっかり業界人になってしまった私の立場を反映している部分もあります。が、まぁ、実はそうどうってことない話題ばかりなので気にすることもないと思うのですが、私の一存だけじゃ、勝手に書けない話も多くなってしまったってことですね。

ファービー発売日 欲しいと思っていたんだけども、あまりのブレイクさにおののいて私は自宅待機にしました ^^) デジカメ界では有名なライター某伊達さんは、原稿に追われ、徹夜したついでに朝6時に新宿高島屋に行ったそうですが、すでに100人以上並んでいるそうです。伊達さんからの実況中継は、kani.com掲示板をどうぞ。
しかし、AIBOにしろ、ファービーにしろ、ファービッシュにしろ、すごいおもちゃというか、アイテムが売られる時代になったもんですね。しかし、私が小学生ぐらいのころ(1975年ぐらい)は、2000年とかいったら遙か未来の物語で、きっともうロボットが店員の食堂とかがあって、火星に基地とかあって、お金持ちのひとは火星に遊びに行ったりできるんだろなぁと思ったりしてましたし、子供向けの科学系の本の未来想像図とか見ると、街中全部電気自動車だったり、歩道が動いたりしている図があったように思うんだけども、なんかそんなに全然昔と同じような気がするなぁ。
ところで上を書いていて、ふと思ったんだけど、最近の子供向けの科学系の本って、未来想像図って載っているのかなぁ。私が小学生のころは、そんな図を見て『すげぇなぁ。こんなふうになるのかぁ。』とか思いをはせたものですが、最近はどうなんだぁ? これは結構重要な問題のような気がするぞ。もし未来想像図が載っていたら、一体何年後ぐらいが載っているんだろう。想像するほうも大変だな。
5月20日


おにゅうの靴

私は衣類などについてはまるっきり無頓着なほうで、そういう方面でのお洒落とはまるっきり無縁な人間だと断言しよう。衣類でコンスタントに買うものと言えば下着と靴下ぐらいで、背広やコートはもとより、普段着るシャツやスラックス、ズボンなど、年に1回も買わないこともあるかもしれない。太ったとかの物理的でやむを得ない理由の時は、それこそやむを得ないので新しいものを買うけども。
しかし、靴は、歩くことが好きなこともあってか、比較的コンスタントにローテーションしている。まぁそれでも、年に1度はあっても2度は無いという頻度だけれども。

私は都合2セットの靴をいつも実戦配備している。ひとつは背広の時用のビジネスシューズ、もうひとつは、普段歩く時用とか、遊ぶ時用に履くウォーキング/デッキ系の靴。あと、ローテーションで本来であれば破棄される運命の一世代前の靴は、いざという時のためにある程度保管している。それだけしか持っていない。
で、話は2月ぐらいにさかのぼるが、かれこれ1年半以上履いていた普段用の靴が随分くたびれてきた。しかしこの靴は私の足にたいへんなじんだ靴で、だからこそこんなになるまで履いていたのだけれども、もう底が破綻しかかっており、雨の日などは速攻浸水してしまう。なので、靴を買い換えた。買ったばっかの時は若干の違いだけで、それほど大きな違和感を感じなっかったのだけれども、1週間も経つとやけに毎日疲れるようになった。全身倦怠感というのか、なんというか、酒も弱くなったような気がしたし、膝とかかかとがたまに痛むこともあった。季節柄、時期柄、歳柄、そういう時期なのかなぁ、無理しないようにしようと思うも、不思議と外出しない日が2日ぐらい続くと調子が良くなる。私は『もしや靴のせいか?』と思った。
それからしばらくの間、靴を意識して歩くようにしていたが、特に顕著に靴だとは思える節は無かった。が、歩行距離と体調不良との間にはおぼろげながら相関関係があるようには感じた。しかも、ビジネスシューズの時は、さほど疲労感は無い。

2月に買ってたったのまだ3ヶ月しか履いていないのにたいへんもったいない話ではあるが、健康には代えられず、ためしに昨日、新しい靴を買ってみた。今度の靴は、ウォーキングっぽいけども、若干ビジネス系でもあり、背広で履いてもまぁそれほどおかしくなさそうなものなので、一石二鳥だし ^^)。ものぐさな私にはちょうどいい。家の近くのダイクマで、メーカー希望価格14000円のところ、9800円+消費税と言ったところのもの。
今日、早速履いて仕事に出かけてみたが、まるでほんとうにこれが原因だったんだよと強く確信するほどに全然全身への負担が違う!。我ながら大変おどろいた。私は相当環境への適応性が高い体質なんだけど、それが故に、今までの靴は実は合わない靴だったけどもそこそこ身体が合わせてしまい、その不整合度を正当に感じていなかった。しかし、間接的に身体の各所に悪影響が出ていた、ということのようだ。大げさだけど、歩くってこんなに楽だったのか? と、再認識するぐらいのすごい違いである。飯もうまいしきっと酒もうまいに違いない。

昔から野山を歩いて散策したり、学生時分は寝袋とテントを持って放浪の旅をしたりしていたので、靴の大切さは知っているつもりだったものの、改めて認識したというお話。あんまし感動したので、ヨタに書いておく。
5月17日未明


かにまるBrバージョンアップ順調

ブラウザ部のみ結構形になってきた。やっと全体の30%ぐらい完成かな。けども、いろいろ考えていると、次から次へと入れたい機能が出てきて、万年終わらないなぁ・・・・・いやぁ、とても楽しいのら。とびまるソフトの開発に使える時間は、今の私にはあまりに少なすぎるけれども、なんとか捻出して(こうやって朝の2時とか3時に寝る時間を削ってでも)地道にやっていきたい。
しかしこれはもしかしたら、デジカメ用では最強のソフトになるかもしれない・・・つぅか、毎月アバウト300枚ペースでデジカメで写真を撮り続けてはや3年半。こんな私がまず自分で欲しいと思って作っているってのが『かにまるBr』の根底にある思想なので、毎月アバウト300枚ぐらい撮影して、整理とかレタッチとかでいやになっている人にとっては、今度のバージョンアップで多分画期的に便利なものになると思う。私としては珍しく、これは自作であるにも関わらず自信を持ってお勧めしたいっって感じだ。そして、今のかにまるBrのユーザーのみなさんにも、やっと顔向けできる作品になったとも思う。

生涯エンジニアでいたい私

ソフトを開発していて感じるのは、ほんとうにソフトの開発って楽しいなってことだ。但し、自分で作りたいと思っているソフトを開発している場合か、あるいは、受託の場合、自分のベクトルと合致したプロジェクトを進捗させている時に限る。

私はもともとは化学屋さんで、パソコンのプログラミングは完全に我流だ。が、小学生のときにはじめてTK-80をさわって以来、ずーっと趣味でコンピュータのプログラミングをやってきた。かれこれ、もう21年の歴史になる。
コンピュータで飯を喰うようになったのは、社会人になって2社目。はじめての転職の時に、趣味でやっていたプログラミングで飯が食えるのかどうか試してみたいという気持ちもあって、ソフトハウスに入社した。
はじめは不安だった。なんせ私の開発スキルは完全に我流の独学で、一方、プロの世界で飯の種にコードを書いている人たちは、きっとすげぇエレガントで高速なアルゴリズムとかを、これまたエレガントに言語上に実装するんだろうなぁ・・・なんて、思っていたからだ。もちろん私にそんな能力は無い。
ところが実際にこの世界に入ってみると、正直に書こう。全然たいしたこと無かったのだ。一般業務で稼働しているコードレベルにしても、9割がたは力技で、変数とか配列をムダに使いとにかくちょっと見ただけでなんだかわからん奇怪な実装がされていた。私が趣味で書いていたコード(当時は普通のパスカル)のほうが、よっぽど構造化されていて、独立性の高い関数群で構成されていて、見た感じもシンプルだった。 もっとも、TK-80とか、コンポBSとか、メモリ貧乏時代の機械語で育ったという背景もあるかもしれない。一方で現場で書いている人たちは、専門校とか大学の情報系を出た人たちが多く、話を聞くと仮想機でコボルとかの言語で勉強するらしく、メモリとかもそれほど気にしないでよいらしい。その感覚の違いはとっても大きい。

もちろん、とっても尊敬するような、エレガントなコードを書くひとも居ました。しかし、それは、ちまたのソフトハウスの場合、おそらく200人ぐらい居る会社に数人レベルで存在するぐらいじゃないかな。もちろん、なんとか研究所とか、知識集団に行けばこの密度は高くなるだろうけどもね。

ちなみに私はコボルは一度もいじったことない。Z80、6502、6809の機械語、BASIC、Fortran、PL/1、Pascal、C/C++あたりがある程度ちゃんとやった言語。最近、PerlとかC-Shellをいじるようになった。kani.comの掲示板作ったり程度はしてみたけど、使えると言うにはまだまだ修行が足りない。

で、だ。そのはじめての転職ではじめてのソフト業界。当時私は24歳。入社するやいきなり、『この業界でエンジニアで通用するのは30歳までだから』と、その会社の偉い人に言われた。ま、当時の私はその言葉を、『そんなもんかもなぁ』と思って聞いたかもしれない。しかし私はその時、『じゃぁ30歳すぎたらどうすんだろう。言語がわかればソフト開発ができるってもんじゃないし、そんなことないんじゃないかなぁ・・・』とも思った。今思うに、そのひとが言っていたエンジニアっていうのは、私が思っているエンジニアとはまるっきり違うものだったんじゃないかな。いずれにしても、私のベクトルとは大きく異なる方針を持った会社であることがそのうちわかったので、また3年ほど在籍して転職することになったのだけれども。

さて私は今33歳。いつまでこうしてコーディングしていられるのかなぁ。60歳ぐらいになって時間にゆとりができたら、MZ-80で機械語で平安京エイリアンを組んでみたいな。MZ-80は欲しくて欲しくて欲しくて、けど、当時高校生だった私には買えるわけもなく、いまだに一度も手にしたことがないの。そいえば、ベッコアメの社長の尾崎さんの社長室に、あったな ^^)
4月25日


生きてます。元気です。

最近・・・というか、いつもだけど、いまもとても忙しく充実した日々を過ごしております。朝3時とか4時に寝て、朝7時半ごろ起きるという生活。最近は朝4時だと カラスがかぁかぁ鳴いてます。

かにまるBrのバージョアップ、ブラウザ部は随分形になってきました。興味あるかたにだけ、ちょこっとお見せしたい気はするのですが、やっぱやめといて ^^) リリース時のお楽しみとさせてください。今度は名称も変更になる予定です。庶民環境(*1)でも動くという設計思想はそのままに、より高度な処理が簡単にできるようにする予定です。肝心のリリース時期は、夏前? 普通の会社が普通のエンジニアに作らせたソフトとはひと味もふた味も違う、ほんとうに写真が好きでマックが死ぬほど好きで好きで好きでたまらない、デジカメとマック(と酒)さえあれば何年でも飽きずに居られるぜぇ〜 このぉ! みたいな半分気が狂っているようだけどいたって普通な一般ぴーぽぅ私がちょっぴり自信を持ってお送りするソフトに仕上がる予定です。ちゃんちゃん。

*1:庶民環境
対応機種:『MacOS 8.5以降のPowerMac(できれば603以後)限定、アプリケーションメモリ16MB以上』とかいうふざけた仕様ではなく、漢字TALK 7.5以降(できれば7.1でも動かしたい)で68020以降のCPUを搭載したMacintoshまたはMac互換機。アプリケーションメモリ3MBで200枚の画像をブラウズ可能・・・というような環境を指す。
3月26日


関東労災病院で人間ドック

別にどこが悪いというわけじゃないんだけど、別件で検査を受ける必要があり、もののついでに関東労災病院で半日人間ドックを受けてきた。ま、全般的にいろんな検診をするのだが、 今日は、生まれてはじめて内視鏡検査(通称胃カメラ)を受けた。

いや〜、真剣にそのまま(胃カメラ飲んだまま)死ぬんじゃないかと思うほど苦しかったよ。

どっちかっていうとオプション的な検査内容で、デフォルトはバリウムによる胃のレントゲン。自ら希望してセレクトしての検査だったんだけども、今まで胃カメラってやったことなかったし、一度自分の腹の中見てみたい気もしたしっていう理由で受けてみた。あと、 5ヶ月前に受けたバリウムレントゲン があまりにひどいと思った検査(その時のプロセスがひどいんじゃなくて、検査の方法自体がひどいと思ったわけ)だっただけに、今回はバリウムレントゲン受けたくなかったってのもある。
けども、胃カメラのほうがよっぽどすごいレベルでえぐい検査であることがわかった。考えてみればそりゃそうだ。口からカメラを胃を越えて十二指腸ぐらいまで入れちゃうんだから、透視よっかよっぽどえぐい。

どんぐらい苦しいかっていうと、こうだ。『飲み過ぎて朝4時に家に帰り速効寝るも、数時間後に胃の内圧が自発的に急上昇して突然制御不能なあの胃液吐き気状態に襲われたにもかかわらず、突然悪魔が現れて喉に栓をして5分待て』ってされたような感じだ。ほんと、途中で気が遠くなって貧血になるかと思ったよ。もういいや、あんな検査。45歳になるまでは、5年に一度にしよう。

ま、なにごとも経験ですな。未だ胃のなかになにかありそうな感覚があるよ。

けど、内視鏡に『OLYMPUS』のロゴを見た時に、なぜか安心した(って、シェアを考えたらどこの病院もほとんどOLYMPUSだろうけど)のはやっぱ病気だろうか。

検査の所見

朝8時半から検査がはじまって、かなりの項目があるも昼には終了する。で、昼飯(人間ドックコースに入っている)喰いつつしている間に検査結果の概要が出て、お医者さんと面談しながら説明を受ける。
おいらの場合、

・大きな問題は無い
・超音波の具合では、脂肪肝気味
・GTP値がやや高い。脂肪肝の影響と推察
・尿酸値もやや高め
・体重も重め

ということで、結論は『食い過ぎ太りすぎ飲み過ぎ』ということで、酒はせめて一日おきにしなさいと言われた。
ちなみに、問診票に書いた酒の量は、『日本酒3合とウイスキーロックかストレートで2デシリットル程度をほぼ毎日』である。結構正直に書いたんだけどな。
『飲み過ぎですかね?』と聞いたら、当たり前だろうがに・・・という雰囲気系のやや軽蔑視線で『とても飲み過ぎです』と言われた。


地獄の内視鏡の検査結果は全く問題無し。

全部自費なので、締めて5万円ちょい(腫瘍マーカー検査含む)。

酒をやめるか飯をやめるか・・・・

社会人になったばっかの独身時代、大学出てはじめてサラリーマンになった会社での仕事は、 大阪一人暮らしの営業職だった。 赴任してはじめのうちの生活は、生活費とかなんとかのバランスがよくわからず、給料日前に資金が底をつく(このころはマジで底をついて、残り500円とかの世界)ことがよくあった。私は自分で『ほんとに俺は酒が好きなんだな』って思ったのはこの時だ。こんな状況下で、米もインスタント食品も無い状況でも、コンビニで食い物買わないで酒屋でワンカップ大関を買っていた。もちろん食い物は無いので、酒だけ飲んで睡眠である。たまには会社からがめて帰ったお茶菓子のせんべいを食べたりして。今考えると、恐ろしい・・とはならずに案外今でもその行動を理解できる自分が怖い ^^) 『ちゃんと食事してるんか?』と、女子社員に心配されたのも懐かしい思い出である。

そういえば思い出したけど、こんな日々が2〜3日続くとかなりの頻度でおふくろから、米とか缶詰とかが送られてきた。もちろん私は実家になぞ全く連絡していないにもかかわらず、結構タイムリーに、些細なものだったけども物資が送られてきては感謝したものだった。が、なんであんなにタイムリーなんだったのだろう。偶然が重なったのか、あるいは読み切られていたのか・・・・結婚する前までは前者だと思っていたけど、結婚して子供ができたら、後者だと確信するようになった ^^) おふくろが決して現金を送ってこなかった理由は、ばりばりの新人貧乏人とは言え社会人としてのおいらに対してのことを思って・・だと思っていたのだが、もしかしたらカネ送ったら食い物買わないで酒買うとか思われていたのかもしれないな・・・・

おっと脇道にそれた。しかし、今、妻子があり、とびまるソフトのプロジェクトを抱え、また、デジプリでも経営陣としての立場がある自分を振り返るに、さすがに少し考え方が大人になったと思うところはある。独身のころは、自分の身体がおかしくなることに対する警戒感というのは全く無かったように思う。さすがに死んでもいいなんて思ったことは一度もないが(私は好奇心ある限り石を喰ってでも生きていたいと思う人間。命ある限りいろんなものを自分の目で見て、耳で聞き、肌で感じて新しいことを吸収したい)、ま、若かったので、無理しても平気だったってのももちろんあるだろう。ところが今は、こうして検査を受けて、いろんな結果を突きつけられて、『特に大きな問題は今はないけど、予備軍入りしているので不摂生に気を付けて』とか言われると、『やべぇなぁ、酒一日おきにしよ』とか、思ってしまう。

・・・良くも悪くも、いろんなしがらみが増えたなぁ・・・

あ、そうそう、身長が約1.5cm伸びていた(186cmになった)。ここ最近短くなったなぁと感じたズボンがあったんだけど、ズボンが短くなったのではなく、足が伸びたようだ ^^)

吉牛大玉を毎週最低1度、がんこラーメン(末広町)のしおたまも毎週最低1度喰っているんだけど、これも減らしたほうがいいのかなぁ・・・・悩む。
3月7日


確定申告書類はもうとっくにできたんだけど、税務署に行っているヒマが無い! 郵送はやだしなぁ・・・・

自作短波ラジオ絶好調!

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2月15日のヨタでちょっと触れたけども、左の自作短波ラジオは絶好調で、完全に私の仕事場BGMマシンになっている。遠くヨーロッパから、短いフェーディングを伴いながらロングパスで届く音楽番組なぞ、実に美しく奏でてくれております。
設計思想からして感度はたいしてないのですが、強力局であれば問題なく入ります。最近めっきり少なくなった外国からの日本語短波放送ですが、RAE含む全局(イラン・イスラム共和国の声は未だやってない? これは含めてません)の受信にすでに成功しておりますし、夜のロシアの声(7355KHz)の音楽番組や、日曜日の昼にしか放送しない地中海の声(17570KHz)など、実に良好であります。そうそう、余談ですがロシアの声は周波数が変わるとのアナウンスがここ数日流れております。が、7355は続投なので私はあんまし関係ないですね。7355しか聞いてませんから。
swradio
右の写真は、今日現在の私の机の上。JRCのNRD-545と、COLLINSの51S-1、一番上にある小さい箱(時計の右)は、キットの31mb専用短波ラジオと、作りかけの真空管(5678)の再生式短波ラジオです。キットと自作の真空管はおいといたとして、NRD-545と51S-1だけでも軽自動車が買えるぐらいの金額するんですが、ここ数週間はすっかりほこりをかぶっております。年中DX追いかけているわけでもなく、最近仕事も忙しくてでBGM的に聞くには自作短波ラジオのほうがはるかに音がよく聞き易いです。

おっと、23時になったので、7355から7275にQSY・・・

電源ラインのハムも、かなり軽減できましたが、まだ完全ではありません。しかしほとんど気にならなくなったので、まぁよしというレベルではありますね。

そうそう、昔はよく幻って言われたRAEですが、11710はかなり簡単に入りますね。私ががんばっていた頃は確か9690だったんですが、今の11710は全然楽です。




先月2/28は、一泊で西伊豆に行って来ました。宿泊地は土肥マリンホテル。私は西伊豆が好きで、よく行きます。泊まりでも年に一度程度は行っており、さすがに去年は娘が乳児だったんでいきませんでしたが、今年は家族3人で行って来ました。このごろずっとなんだかんだで日常忙しく、たまにはこういうのんびりムードでゆっくりするのが一日ぐらいあってもいいですよね(笑) PHSも入らないしで、なんだかネットワークの束縛からも逃れてゆったりした気分で、宿に付くなり冷蔵庫にあった日本酒を呑んでしまいました。

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この酒がうまいんだ。なんだかよくわかんない、純米でも吟醸でもない酒なんだけど、開放感からくるこみ上げるようなうまさっていうのかなぁ。15分もかからずに300mlを飲み干しました。すると、ちょっとだけ気分もよくなってきて、くだらんことをやりはじめます。

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窓際に酒(これは2本目)を持っていって写してみたり・・・・・
これはC-1400XLスポット測光で、お酒の瓶に合わせたもの。背景がとんじゃってますね。けどいいや。イヤな飛びかたじゃないもんな。でも、FinePix700ならなんとか無理矢理レンジ内に入れてくれたような気がする。

で、結局夕食時には熱燗で3本貰って(ちなみに妻は酒を飲まないし、唯ももちろん呑まない)さらに上の写真の冷や1本を呑んだ。都合合計1350ml日本酒呑んだそのあと風呂に行ったんだけど、部屋帰ってきたらロクに着替えもしないで歯も磨かないで速攻で寝てしまったらしい。朝3時に目が覚めて、慌てて歯を磨いてコンタクト外して、就寝 ^^)

結局酔っぱらって寝てしまったわけ。なははは。こんな酒の写真だけじゃあんまりなので、比較的よく撮れた夕日の写真(これは部屋から)と富士山の写真(これは恋人岬から)を下においとくね。C-1400XLで写したものを縮小しただけよん。 やっぱでかいCCDはなにものにも代え難い表現力を持っているみたいだぞ。
今後いろいろ写していくにつれ、わかるでしょう。

swradio swradio

2月27日


とびまるソフト1998年締め終了

今年はインフルエンザでうだうだしてたりとか、仕事がめちゃ忙しいとかで確定申告開始初日の申告はできなかったんだけども、なんとか今日書類整備作成終了。合わせて私の所得も確定しました。とびまるソフトの決算概要は、例年どおり こちらで公開してます んで、ご興味あるかたはどーそ。1998年は、妻が専従者で無くなった(専業子育て)ので、専従者給与が無くなったけど、その分扶養家族になったので、配偶者特別控除で76万円が控除されることに。う〜ん、どっちがいいかというのは難しい問題だけど、社会保険料なども考えると、案外分扶養家族配偶者特別控除っていうのがいいのかもしれないなぁと、ふと考える。

1998年はデジプリに随分注力し、これは今後も継続される状況なので、家賃とか電気代とか電話代などの経費算入の案分比を見直しました。去年に比べて経費算入率を下げたのも効いて、1998年はなんか利益率の高い年になってしまったなぁ。

そうそう、とびまるソフトの所得は以上の通りだけど、私の所得としては、他に原稿料や講演会謝礼などの雑所得、デジプリの役員報酬などがあり、最終的な課税所得額は、556万2千円でした。去年が391万円だったんで、随分増えた分税金も随分増えて、予定納税したのにも関わらず33万3千円も所得税を払わねばならぬことが判明しました。もちろん特別減税も忘れてません。ぅう、住民税とか事業所税とか考えると恐ろしいぜ。

来週税務署に持っていこ。
2月20日1804。37.3度


長い戦いもいよいよ終盤にさしかかってきたようである。

おそらくは先週の土曜日のあび結婚式で感染したと思われるインフルエンザが15日に発症。感染経路については証拠はないものの確固たる根拠がある。ちょうど結婚式前日ぐらいまで、はげしいインフルエンザで一週間も会社を休んだ元同僚(フルーツポンチ娘)がすぐそばに居て、『私もう今病み上がりなんだから、もういたわってよ』とかなんとか言っていたのだ。そんなん無視して『フルーツポンチ娘ぇ〜』とか言って茶化していたことに対する報いがこれだとすればあまりにヘビーすぎる。

例年、1シーズンせいぜい一回熱を出すか出さぬかの私である。一度熱を出せばそれでもう大丈夫だったのだけれど、今年はこれで3回目だ。自らの免疫力低下を憂いて今回は安直に医者には行かないことにした。もっとも、私はいつも「自然治癒」中心で、熱が深夜に39度をマークしたあたりでちょっとヤバいなと思い急患扱いで病院に行くというのが今までのパターンだ。あ、そうそう、しかしそうは言っても高熱時に下痢症状が現れたら無条件で病院に行く。これは、戦争で言えば物資補給ラインが閉ざされたのに等しい状態なので、これ以上戦ってもあまり勝ち目は無い。

16日朝に熱が38度あったけど、今後のことを考えると自宅で作業できるような環境を用意しといたほうがよさげだったので、気合いでデジプリに出社。向こう一週間ぐらいの間にある対外的プロジェクト一式をMOで持って帰る。これはやっておいてほんとうによかった。

して、16日夜に熱は39.9度をマーク。いつもだとこの時点で夜間救急センターに電話して病院をハンドリングしてもらうのだが、今年は唯も居て自力で車で行くのもなんだかんだで大変だし、なんせ今年は体力免疫力低下をモロ自覚したので、ぎりぎりまで自力で治癒することにする。

と言っても39.9度はさすがに不安だ。私は大学時分の専攻は有機合成化学。蛋白質の変性臨界温度などの知識はあるものの、生体の場合にも適用できるわけがない。なので、家にある文献やインターネットを駆使して、危険と言われる体温は何度なのか? 素人で何度まで扱えるものか? などを調べてみた。いろんなことがわかった。以下、要約。


他にもいろいろわかったんだけど、取りあえずこんなところにしておこう。結局私の場合は、16日夜に39.9度をマーク後、18日夕までコンスタントに39度台を維持しつつも18日夜から38度台に下がり、19日朝には37.5度までになっていた。40度までは平気だよ〜ん などと言いながら妻にあきれられるも、さすがに蛋白質の変性臨界に近いあたりのやばい世界を行っているので、2時間に一度は体温を測っていた。39.5度とかにあって、ちょっとでも上昇傾向を示したら速効病院だ。

しかしその後はあまり下がらず、20日18時現在で、37.3度だ。今はちょうど、激しい戦いで殉職した白血球だらけのハズだから、油断は禁物である。熱が下がって随分楽になったが、家からは出ないであったかくして作業している。

そうそう、16日にデジプリ行って環境を持ってきたおかげで、17日以後一度も出社してないけど対外的重要なプロジェクトはなんとかオンラインでこなせた。富士通デスクパワー向けバンドルソフトの納品などなど。
しかし不在中にはきっとみんなに迷惑をかけたに違いない。今度出社したらお詫びとお礼を言うことにしよう。

パパの風邪、娘に感染

明らかにパパの風邪が娘に感染してしまった。私が16日夜に熱を出してから2日後の18日夜、唯がやけにう〜う〜うなっているので熱を測ってみたら39度。家庭内感染である。
私が発熱する前にすでに感染していた可能性もあるが、17日とか、私が昼間から家に居て布団で寝ているのが珍しくまた嬉しいらしく、積み木を持ってきては「みきみき」と言って遊んで貰おうとしたり、ママゴト遊び用のうどんとかごはんの写真のついた厚紙を持ってきては「ぼーぼ」(どうぞ の意)と言って渡そうとする。もちろん風邪がうつっては大変なので、そのたびにおい返しはするのだが、枕元から少し離れたところですわって一人で遊んでいたりしていた。この時に感染したのかもなぁ。

けども唯はやっぱ若い(当たり前だ。未だ1歳8ヶ月)。翌日19日に妻に病院に連れられていったが、今日20日18時現在、もう37.5-37.8度ぐらいに下がっている。解熱用の座薬は朝に入れたきりなので、油断はできないもすでに快復方向のようだ。

先の白血球の免疫活性の話じゃないが、唯に対しても解熱剤の投与基準は39.5度オーバーするか、38度以上で苦しそうな時とすることにした。昨晩は一時39.9度をマークしたのでさすがにびびって速効座薬を投与した。幼児の高熱は熱性けいれんがあるんで注意しないといけないね。幸い唯は、以前にも熱だしたことなんどかあるけど、けいれん歴は今のところは無い。

比較的安心なのは、唯は39度ぐらい熱があっても結構よく食べる。これは私も同じで、39.5度とかでもいつもと同じような食事を同じ量食べるし、むしろ普段よりももっと食欲が出る傾向すらある。あとは、苺をたくさん食べて、みかんも食べて、ちょっと塩入れた水とかポカリスウェット飲んだりしている。

きっと白血球が欲しているんだろう。
2月15日深夜。晴れだけど寒い。


生きてます。最近ほんとにweb更新の時間がなくて、読み書き交流の場にas isで書き込んだり、イベント記録での更新などがやっとの思いでできてるぐらいだ。ほんとは趣味ネタをたくさん書きたいんだけど、新規に頁を用意している時間は無いので、取りあえずヨタ話で軽く触れるとする。

最近はまっているもの


これは、先日完成した自作の短波ラジオ。音の良いローカル局受信用として設計製作したオリジナル。受信範囲は6MHzから18MHz弱まで。予備実験含めたら去年の11月ごろから始めたので4ヶ月弱かかった。もちろん今後もバージョンアップする予定。

特徴としては、なにより音が良いことが上げられる。その反面感度はたいしてよくなく、同じアンテナから分配されているNRD-545と比べると、NRD-545でSが8以上でないと、ちょっと実用的な受信状態は得られない。

IFは455KHzのシングルスーパーだけど、よけいなものを極力排除したシンプル設計で、IFには9KHzと15KHzのセラフィルを入れて、帯域幅を切り替え可能にした。31mbあたりではなかなか15Kでは聴けないが、昼間の19mbあたりだと、15Kの効果は絶大である。また、RF初段の同調回路にはトロイダルコアを使ったHi-Qな回路を採用し、455KHzのシングルスーパーだけどイメージ比は17MHz帯の受信においても問題ないレベルを実現している。RF-DETまでは、LA1600というリニアICを使用。
局発はLA1600の内部回路を使わずに専用に用意し、AM受信においては問題ない安定度を実現している。
そしてAF段は、NECのオーディオ用ICを使い、BTL出力で23Wのハイパワー。もっともこんなパワーは不要なので、音質的な余裕としての投入である。
スピーカは、FE-87を使い、ラジオの箱は木製キャビネットとし、音響的にも最大限考慮した。エンクロージャとして見た場合、内容積2.5リットルのスリットバスレフで、ダクトの共振周波数は約100Hzだ。

実際このラジオで強力局を聴いてみると、『こんなに短波放送って音がよかったのか』と思うほどの良い音で受信できる。スタジオの機材がよい放送局だと、アナウンサーの息づかいや部屋の雰囲気までもが伝わってくるようである。音楽番組などは、最高にいい。昼間のラジオニュージーランド(17675KHz)はよく音楽番組をやっているけど、混信もなくとても素晴らしい受信状態である。また、深夜0時からの、6250KHzの朝鮮からの放送も、哀愁を感じる音楽ばかりでいい感じで鳴ってくれる。

ただ、問題も若干あって、木製キャビネットなためかどっかから誘導ハムを拾っている。オシロで見てみるとどうやら電源ハムみたい。これは、今後なんとかしていこうと思う。

ところで今年の風邪はほんとうに強いね。毎年私は一回風邪引けばもうお仕舞いなのに、今年のは昨日からちょっと具合悪くなって今日は大事をとっておとなしくしていたんだけど、もう何度目かわからん。もっとも、熱が出るに至ったのはそれほど多くないが、いつもはこんなことないのに。

年取って抵抗力低下っていうのも、あるのかな?

みなさんも、ご自愛あれ。
1月26日。暖かい日。


昨日は私の誕生日。都合33歳。なはは。

昨日は夕方から、デジプリの仕事の関係で夕飯をごちそうになった。浅草で米久というお店で牛鍋。たいへんうまかった。ごちそうさまでした。その後神谷バーで電気ブランと電気オールドを飲み、その後雷門前のラウンジ(でいいのかなぁ。カラオケのあるおしゃれなお店)で大騒ぎ。ここで、お店の女の子に話の成り行きで『おいくつなんですか?』と聞かれて、いくつだったか考えていたらば『あ〜 今日俺の誕生日だ!』と、突然思い出した。緊急に私のお誕生日会に ^^)。

そんなこんなでその店を出て、まずはお開き。タクシーを用意いただいて、日吉まで帰ろうとしている車中でPHS が鳴った。さっきまで一緒に居た江端さんからだった。というわけで、赤坂のいつもの店に行くことになった。

赤坂のお店は、1月4日のデジプリ新年会以来だ。このお店を出たあとは、六本木に行き、某日本のISPの草分け的存在の社長と、これまたいろいろもろもろでなにかと忙しい時期の超有名ISPの社長、他、インターネットでも出版でも有名な編集部のみなさまがたと合流。そしてお開きの後、某日本のISPの草分け的存在の社長と、江端さんと私と3人で、これまた六本木の近く(だと思う)の静かなお店でお酒とワインを呑む。

家に帰ったら朝の4時半だった。「最近年のせいか、酒弱くなったなぁ」とやや弱気だった私だけど、今回は結構呑んだと思うけど全然平気だったんで、「まだまだ行ける行ける」なぞと思いつつ家に帰る。
と、机の上に、妻からのプレゼントらしきものがおいてあった。中身は、ジムニーのプラモ。去年の今頃、ジムニーと別れを告げてプリメーラに乗り換えた私だけど、やっぱあのジムニーの楽しさを忘れられず、「またジムニー欲しいなぁ」などとたまに言うモンだからプラモを買ってくれたのかも。しかし、こんなものを私に与えると、あとが大変だぞ。塗装とか、傷付けたりとか、凝り出すから。
そして今朝、寝て起きたら驚いた。激しい頭痛。熱がある。私は二日酔いになっても頭痛は無いので、こりゃどっかでまた風邪菌うつされたか、あるいは酒で弱った隙をつかれて再発したか・・・・・・結構つらい。まともにたってらんないぐらいひどかったので、今日は緊急に休養日とした。

それにしても、今年は、なかなか風邪なおんないなぁ。

そうそう、昨日、富士フイルムの感剤部のかたとお話する機会があり、お願いだからネオパンSSSを復活して貰えるようにまたお願いする。

機会があれば、いつもお願いしているんだけど、無理かなぁ・・・・
1月12日。めちゃ晴れ。


風邪、悪化

昨年末からだらだらとたいして悪化もせずに継続していた風邪であるが、今朝起きるといきなり悪化していた。思えばヨタ話も3周年。発端のきっかけは1996年1月早々に謎の熱病に伏し、1月9日に自宅療養であまりにヒマだったので開設したのがヨタ話だ。ご興味あるかたは、ぜひこの頁の下のほう、「1996年のヨタ話」をご覧のほどを。最後のほうだよ。

対人間風邪ウイルスワクチン


というわけで、拙作ソフトのとりもつ縁で知り合った春岡さんと、数日前にメールでのやりとりのなか、ちょっと風邪ひいてしまった・・・と記したら、早速写真左の対人間風邪ウイルスワクチン、長崎の「ろくじゅうよしゅ」(字か難しくて出てこない)をお送りいただきました。ありがとうございますです。早速賞味するも、キレがよくてしかしコクのある、とても美味しい大吟醸でありました。

写真左は、これまた拙作ソフトのとりもつ縁で知り合った畑さんに、昨年末にお送りいただきました新潟の純米酒「ぬなひめ」です。これもまたコクあり香り絶品味わい深しの美味しいお酒。これまたありがとうございますです。「ぬなひめ」以外にも、おつまみ付きビールセットなどをお送りいただいておりまして、なんとお礼申し上げたらいいものか。

写真にはありませんが、これまた拙作ソフトのとりもつ縁で知り合った和歌山在住の栩野さんからは、前年に引き続き今年もみかん段ボール一箱頂戴。これまた素晴らしいみかんでありまして、実に甘くて舌触りもよく、実家にお裾分けしたらば私の母が「このみかんは一体どうしたんだ」とその履歴について激しい質問にあったほど。かさねてありがとうございますです。

ここ数週間にいただいたものに関してのみのお礼でありますが、他にも年間通じていろんなものを、拙作ソフトのとりもつ縁で知り合ったいろいろなかたからいただいております。心から感謝申し上げます。これを糧に、今年こそは大バージョンアップを果たしたいと考えております。

どもども。
1月7日。今日は晴れだった


唯の一歳半検診。

私は行かず、朝、車で妻子&妻の友人の母子を保健所まで送る。

知能テストってほどじゃないのであるが、絵を見せられて「犬はどれ?」とか、「これはなに?」とか聞かれるテストがあったらしい。で、なんと、唯は全問正解の天才児らしい。一歳半検診なので、誕生日プラマイ1週間ぐらいな子供たちがそれこそわんさか集まるのだが、唯が全問正解した時点では、全問正解者はただひとりだったらしい(もちろん唯が最初のひとりだったなんていうオチじゃないよ。すでに検査の順番は終盤だったらしい)。半分正解ぐらいなのが平均らしい。保健所の担当者も驚いていたそうだ。
決して親ばかでない客観的事実認識として、これはすごいなぁと私も思うが、まぁ、長い人生そういう時もあるよね。親とは言えそれほど大袈裟に感動することでもないように思うが、妻はすげぇ驚き感動したようで、とても喜んでいた。ま、私と違い毎日唯と格闘している妻のこと、日ごろは唯を怒ってばっかなのだから公の場でこういう結果が出ると嬉しいんだろね。
まぁいいことだ。よかったよかった。

脱線ついでに余談だが、よく、自分の子供相手に「パパでちゅよー」とか話し掛けているシーンはよくあるが、私はなぜかそんな気になれない。唯が三ヶ月のころから、だっこしていっしょに朝刊を読むときなぞは、ちゃんと記事の解説をしたものだ。たとえば、「円安ってのはね、アメリカって国のお金のドルを、日本のお金の円で買うときの値段が高くなったことを言うんだ。」みたいな感じで、普通の言葉で話し掛けていた。こんな話をまさか唯が理解していたとは思えないが、なんだかわかった風な感じで私の話だけは聞いているのが妙におかしくて、嬉しかったものだ。
私の唯に対する態度は唯、三ヶ月からこんな調子だった。自分の子供であることは確かであるが、しかし、彼女も立派な人類である。人間社会に生まれた以上はその時点からひとつの人格として尊重しないといかんぞ! というのが、私の私に対する戒めでもある。親としての私が自分の子供に接するにあたり、自分の思っていること、やってきたことがすべて正しいなんて思ってはいけない。正しいこと、道徳感を健全に教えなければならないな、とはもちろん思うが、親の価値観、考え方のおしきせだけはしないようにしよう・・・と、妻が妊娠する前から私は考えていたのだ。

そんな接し方がどう影響しているかは、まったく評価する方法は無い。が、乳幼児のころから一人前として接してきたためか、たしかに一歳半児にしてはずいぶん人間社会の営みを理解しているな・・・という気はする。私が帰ってくると、靴下を脱がして洗濯機に入れるのは唯の日課だし、朝起きると「はよう」(おはよう の意)と挨拶する。「隣の部屋にあるパパのかばんの中から鍵持ってきて」といえば、忠実にそれを実行する。友人知人で私よりも先に子供に恵まれた連中にそんな話をすると、「うそ言うなよ、そんなことしなかったぞ」とみんな口をそろえるので、もしかしたらすごいことなのかなぁ。

ま、そんなことはあまりどうでもよく、他人に迷惑をかけない人間になってくれれば、あとはまぁ好きに生きてくれていいよ。

最近、はんだごて握っているととても楽しい。そんな私を見て妻はやや心配しているみたいだ。今までは、趣味と言えばマックとデジカメで、それこそ生活するためのお金に結構直結していた。趣味が仕事状態であったわけだが最近は、趣味が完全に趣味、単なる道楽と化している。本来はこうでないといかんとも、思う私ではあるが、一方では、やはりマックやデジカメの方面でも私がやりたいことはまだまだ山積みされている。

今年はひとつ、バランス良く、よく遊び、よく働き、よく稼ごうじゃぁないか。

最近、悶えるほどのデジカメが無いっていうのも、趣味が道楽に走る要因のひとつかもね ^^)

バイオはいいなぁ。ずっと使っていても4時間ぐらい平気で動く。今日は愛車プリメーラの一年点検で日産プリンスに来ている。ほんとは1時間ちょいで終わるはずだった作業が、結局3時間以上になることになり、私は自宅が近いので帰ってもいいんだけどこうして久しぶりにヨタ話を打つことにした。もちろんほかにもメール見たり、メール書いたり、web書いたりサミットに行って近場ではここでしか売っていないカップスパゲッティーを買いに行ったりしているが、まだまだ動く。もうかれこれ3時間は使っているが、パワーマネージャーはまだあと1時間12分も動くぞ! と表示している。嬉しいなぁ。
1998年12月までのヨタ話
1998年5月までのヨタ話
1997年12月までのヨタ話
1997年9月までのヨタ話
1997年2月までのヨタ話
1996年のヨタ話(テキストのみでも約 100 KB)