1997年12月31日、23:06である。





毎年大晦日には、『今年もあっという間だったなぁ』なんて思うものであるが、私にとっての今年は、この『あっという間』というほどの感覚すらないほどに瞬間だったように思える。 昨日も今日も自宅で仕事をしていて、きっと明日も少しはするだろう。今年は大掃除もしなかったし、年末に新年の食料などの買い出しにもいかなかった。世間は年末大バーゲンだとか、いろいろやっていたようであるし、いつもコーディングしながら聞いているFM横浜からも、年末っぽい空気は感じた。

けれど私自身、これほどに連続している時間の中で生活していることを実感する年末は初めてだ。例年であれば、なんとなく『今年は・・・・だった』とか、『来年は・・・・だ』などと一応節目的な転換があったものだ。特に去年の大晦日は、さらばサラリーマンだったこともあり、一層節目を感じたものだ。

ところが今年は、節目という観点からすると、とてもそんな気分にはなれない。私にとっての節目はまだまだ先なのである。



今年は私にとっては、公私ともにまさに激動の年であった。振り返ってみても、半年前にあった出来事が、まるで2年ぐらい前のことかのようにさえ思える事象もある。今年一年『瞬間だったように思える』と矛盾した感想であるが、まぁ人間そんなもんだ。まぁよい。しかし、常に、前を見て、まずは何事も受け入れ、吟味し考察するという基本的スタンスは通せたのではないかな・・・と、思う。

一過性の人生、時間において、決して後悔しない自己史を残すためには、自分に躊躇せず、逃げず、現実、真理、真実を直視していかねばならないのだと思う。下手な言い訳やへりくつ、複雑な状況はそれ自体のどこかに虚偽/破綻があり、その虚偽/破綻をごまかさんがための構造上の必然だとも思える。

信ずる道を歩まんとして独立したのであるが、ほんとうに100%それを貫いたかと問えば、残念ながらNoである。しかし、自分で納得できない行動は一切しなかったことは確かだ。

なんだかばたばたと、忙しく目まぐるしい時間を過ごしてはいるが、今日は例年にない、すがすがしい大晦日であり、例年になく、心から充実した1年であったと思える今日である。



さぁ、先に進もう。




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